下北沢あおぞらマルシェ 被災地復興支援に参加

2012.05.01

穏やかな4月の日和に恵まれた30日、下北沢で被災地復興支援の「下北沢あおぞらマルシェ」が開催された。場所を提供してくれたカトリック世田谷教会は、豊かな庭園と、緑の森の雰囲気が漂う800坪の広大な敷地の中にあり、都会とは思えない静けさに包まれていた。出店ブースには、スローフードや無農薬・減農薬などの野菜や食材、そして、天然由来の品々などが並べられ、沖縄の歌舞を演じる「月桃の花歌舞団」の踊りやギター演奏など、のどかな時間が流れていた。

特に被災地復興支援のため、福島県や、避難先の大分県で農業を始めた若者などの農産物が並べられ、世田谷だけではなく千葉県など遠方からも駆け付けてくださった方などもおいでになり横のつながりを大切にした企画は新たな輪を作り出していた。

主催者はNPO  Agri-Connections。和気優さんというロックシンガーが呼びかけて実現した企画に、世田谷区産業公社が後援し保坂区長も参加していました。世田谷区はエネルギー政策において既にPPS電力の購入や、太陽光パネルでの電力供給など他区より一歩先を歩いている様子です。

福島県産野菜の放射能測定でこの企画に関わらせていただいた私ですが、企画から準備、そして宣伝と多くの若者がスタッフとして生き生きと活躍している姿を垣間見ることができたことが嬉しかったです。

福島県須賀川のおいしいきゅうりの漬物は道行く買い物客も歩きながらつまめる一品。南会津からは珍しいアスパラや納豆、そして金子牧場のほおずきアイスくりーム。アスナロ農場も減農薬野菜やゼリーを、南の大分県湯布院からは久留米絣も出展されていました。また、28日に引き続き、大間原発に反対している「あさこはうす」の小笠原さんも参加して、大間産天然わかめなど販売してくれました。和気さんの農民カフェからは無農薬素材のランチが好評でした。ワンコインんカレー、そして手作りパンなど、みなさん趣向を凝らしたブースは、スタッフもゆっくりと楽しめました。

また、ソーラーパネル発電で電動ミシンを動かし作品を作っていましたが、まだまだたくさんの出店者がおいでになりました。

下北沢という土地柄は文化の香りがする街ですが、その中心街の一角にある教会をお借りしてのイベントが世田谷では開催できるのだなと感心し、大田区でもこうした企画を多方面の方々と共催したいと思いました。勿論、本門寺の朝市など地域に根差した取り組みは続けられていますが、地域の風物詩のようにあちこちで継続できることが大切だなあと思います。

 

教会の敷地から下を見下ろしながら、福島などの被災地に穏やかな日常生活が何より必要だと、そのためにも自分のできるところで活動を続けていきたいと感じた一日でした。

 

 

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「終焉に向かう原子力」第14回 講演会より 

2012.05.01

4月28日、「終焉に向かう原子力」実行委員会が開催する講演会に参加しました。

まず2003年アカデミー賞ドキュメンタリー部門オスカー賞を受賞した「チェルノブイリ・ハート」が上映されました。チェルノブイリ原発の爆発以降、放射能汚染が子どもたちにどれほどの影響を与えているか身に染みました。それは、甲状腺だけではなく、心臓や肺、或いは四肢などの疾患と様々な形で出現し、特に子どもの罹患率が過去のデータをはるかに上回ることでも理解できます。放射能汚染が人間の遺伝子そのものを破壊し、成長の速い乳幼児期や子どもの体に及ぼす影響をしっかりと受け止め、今後の日本国内の内部被ばく対策などに備えなければと考えさせられました。

続いて現地報告として、浜岡原発を考える会の伊藤実さん、そして大間原発の建設を押しとどめてきた「あさこはうす」の小笠原厚子さんの報告がありました。当事者として地域を守る活動を展開している方々は、現地の実態をつぶさに見て訴訟に取り組んできました。その思いを私たちも共有し、自分の生活している足元からつながっていくことが大事です。

今回、「あさこはうす」の小笠原さんは「世界でただ一人原子炉の位置を動かした」故・熊谷あさ子さんの娘です。大間原発の地権者としてただ一人土地を売らなかったあさ子さん。「金をいくら積まれても土地は売らない。大間の海は宝の海だから守り抜く。」と生涯をかけたのです。その母の思いを受け継ぎ運動を続けてきた小笠原さんは、「女だから、命を生み育てる女だからこの土地を売らずに原発に反対してきたと思う」と母・熊谷あさ子さんの気持ちを噛みしめるように語っていました。

あさこはうすで命がけで暮らしてきたあさ子さんの傍らにいたのは、黒い犬のチョロです。あさ子さんにボディガードのように寄り添い暮らしたそうですが、あさ子さんが亡くなった後を追うように同じ年に死んだそうです。絵本「風の中を今日も行く」の中にも出てくるチョロですが、小笠原さんは「母とチョロはまるで同志のように生きていた。」とそっと話してくれました。

広大な大間原発の敷地の中に建つあさこはうす。その灯を決して絶やすまいと小笠原さんは生きています。

後半はジャーナリストの広瀬隆さんが、鋭く原発の問題を指摘しました。

まず、2012年夏の電力について大変詳細なデータを示して、不足にならないと説明しました。今、大飯原発再稼働に向けて毎日のように再稼働しなければ電力が足りなくなると報道されていますが、水力や火力、自然エネルギー、そして各企業の電力などをトータルで積算しなければ本質は見えてこないと、具体的なデータを示して、夏場の電力不足はありえないと語っていました。

また、福島原発の爆発により世界初の人工放射性元素である「テクネチウム」が検出されていたことなども話されました。クリプトンやキセノン、ヨウ素・セシウムなど比較的沸点の低い物質からストロンチウム・コバルト・プロとニウム・ウラン・ネプツニウム・とリプトン・そしてテクネチウムと沸点が高いものと、どれが検出されたかによってプルトニウムを使っていた福島3号機の爆破内容がわかると説明していました。

こうしたデータを私たちも理解し、そして、ひとたび暴走を始めれば人間の英知をはるかに超える原子力発電所の恐ろしさを認識すべきです。その上、福島4号機は、地震などが再び来て土台が壊れることの怖さだけではなく、もし燃料プールそのものにひびが生じるなどして水位が下がり冷却ができなくなれば、プールの温度があがり、燃料棒の鞘であるジルコニウム合金が発火するかもしれないと、米国原子力技術者のガンダーセン氏が指摘していたことを紹介していました。もし核燃料が大気中で燃えれば、未だかつて経験したことのない状況になるというのです。

今後、私たちは、特に子どもや若者、妊婦さんなどの内部被ばくを防ぐため、国内で生産できる食料をどのように確保するかを真剣に考え、取り組むとともに、がれき処理においては、福島原発の影響が比較的少なかった地域や西日本・九州・北海道などへも処分を広げることは得策とはいえません。

福島原発事故の起こるずっと前から講演会を開催し原発の問題を指摘してきた「終焉に向かう原子力」実行委員会に参加させていただき、改めて、一人ひとりができることを力いっぱい続ける意義を感じました。それは、落合恵子さんの言葉「私はチェルノブイリの原発事故の直後は問題を問い続けてきたが、そのあと取り組んでなかった。ぶれていた。しかし、これからはぶれずに活動していく」と率直に語った言葉からもわかるように、まさに一人ひとりの意識の問題です。

広瀬さんが「終焉に突入した原子力です」と語っていたように、まず5月5日、子どもの日に私たちはすべての原発停止を子どもたちの未来へしっかりと渡していきたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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今中哲二「放射能汚染 チェルノブイリと福島」・・終焉に向かう原子力講演会より

2012.04.01

3月31日午後、京都大学、今中哲二先生の講演会が大田区消費生活センターにおいて開催されました。あいにくのお天気で電車が不通になる時間帯もありましたが、多くの方が参加され、福島後の日本のあり方を模索していることを痛感しました。
今中先生は、チェルノブイリ原発の調査を続けてきた日本の第一人者です。ご自分が調査された事実に基づく発言は、科学者そのものという印象でした。原子力についてどのように判断するか、それは講演を聞いた市民一人一人が判断することだと語っていましたが、正しい情報を多くの市民が十分に共有できていない状況では、課題の多いことだと感じます。
冒頭、東京日比谷公園のセシウムの数値を提示してくれましたが、一時間当たりの空間放射線量率は、0.09マイクロシーベルトと、自然バックグランドの2倍くらいとのこと。セシウム137と134を合わせた汚染レベルは、1㎡当たり20,000ベクレル程度と説明してくれました。考えなくても良かったはずの放射能汚染の世界が生まれましたが、、東京で生活している方は、避難するレベルではないと先生は考えていると話していました。ただ、ホットスポットのように数値が高いところの対策は必要だと考えているとのこと。江戸川などの流域はやはり心配だと私は思いながら聞いていました。
今中先生は、
「チェルノブイリから学んだことは、原発で大事故がおきると、まわりの村や町がなくなり、地域社会がまるごと消滅することと、放射線被ばくは、健康影響の原因のひとつにすぎない。また、健康影響は被害全体の一部にすぎないこと」と話していましたが、福島でも同様に、帰村できない地域があります。それなのに、除染したからと急いで地域に帰れるような政府に、私は信じられない気持ちです。昨年3月15日、大量に放出された放射能が東京へも風で運ばれたが、東京は雨が降らなかったため比較的汚染が少なかったが、その後、福島へ流れた時には雨が降ったため、汚染がひどくなったそうです。丁度一年前、福島原発の爆発直後に飯館村で放射能測定をしていたので、今回測定した飯館村の数値と比較しながら説明してくれました。2011年3月は30マイクロシーベルトもあったが、現在10マイクロシーベルト。幾分数値が下がったものの、半減期が長いセシウム137など、長い長い時間、人々は近くて遠い故郷と向き合って生きていかなければなりません。

「誰が、何が、何のために日本の原子力を進めてきたのか」と先生は問いかけていましたが、そこから原子力政策を見極めない限り、私たちは原子力の構図を理解することはできない。日本の核政策に関する基礎的研究が1968年9月、内閣調査室から発表されたが、自前で核を持つ気になったらいつでも作れると原子力政策を進めてきた日本政府。再稼働の目的が見えてきます。
そしてチェルノブイリ事故と福島原発事故が異なる点があると知りました。火災が発生して燃え続けたチェルノブイリ事故では、その後、巨大な炉心を冷やすためにそのまま空気に、外気にさらし、後に石棺で囲ったのだというのです。しかし、福島原発は、放水を続けているため、その汚染水が適正に処理されなければ地下水、或いは海洋へと放出され続けます。私は福島原発の放水の様子を見ているためチェルノブイリも同じだと誤解していました。四方を海に囲まれ漁業を主として来た日本は、今後どうなるのだろう。それは、世界の海の汚染でもあり、世界各国の懸念が理解できます。

「確かな」ことを科学者として発信し続けてきた姿勢。それは、すべての物事を疑うところから始まり、そして確かな事実、確かかどうかはっきりしない内容、確かでないものと区別し提示してきた歩みでもあったと感じた。
チェルノブイリ前とチェルノブイリ後の生き方。そして今遭遇している、福島原発事故前と後の社会。それは、日本の社会を大きく変えることだったと私は思う。

「終焉に向かう原子力」実行委員会が原子力の危険性や問題を訴え、原発廃炉をめざし集会を続け10年になるという。市民が学べる場を、地道に作り続けてきた市民がいるから、正しい情報が共有できる。原子力に頼らない社会、子どもの未来を守る社会を作るのは、私たち市民の力。原発即時停止、廃炉を実現したい。

 

 

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3月31日 今中哲二講演会のお知らせ・・・「終焉に向かう原子力」実行委員会より

2012.03.20

 「終焉に向かう原子力」実行委員会が開催する講演会のお知らせです。

    「放射能汚染・・・・チェルノブイリと福島」

福島第一原発は、政府の事故収束宣言にも関わらず、メルトダウンした核燃料の状態がわからず依然予断を許さない状況が続いています。また、3,11事故以降放出された放射能は、広大な地域を汚染し、各地でホットスポットが見つかっています。報道される食品放射能汚染に不安を抱かない人はいないのではないでしょうか。そこで私たちは京都大学原子炉実験所の今中哲二氏に講演をお願いしました。今中哲二氏は日本におけるチェルノブイリ原発事故研究の第一人者であり、福島原発事故の放射能測定を続けておられます。ぜひ講演会にご参加ください。共に私たちと私たちの子孫の命を守るための対策を考えましょう。

 

日時・2012年3月31日(土)13時30分~16時30分(開場は13時15分です)

場所・大田区立消費者生活センター2階 大集会室(JR蒲田駅東口から徒歩5分)

講師・今中哲二氏(京都大学原子炉実験所)

参加費・1000円

主催・「終焉に向かう原子力」実行委員会

連絡先・TEL/FAX 03・3739・1368

     携帯 090-9137-2437

 

 

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福島の子どもを放射能から守る会・・佐藤幸子さんの講演会から

2012.03.20

 板橋区の「ハイライフいたばし」において「福島の今~子どもたちの現状」のテーマで開催された講演会に参加しました。。

 講演をした「福島の子どもを放射能から守る会」世話人の佐藤幸子さんは、自然農で農家を営んできた方です。有吉佐和が「複合汚染」を書いたその当時から、農薬を使わない農産物と有精卵の鶏を平飼いで育ててきました。大地や命を大切にし、多くの研修者も受け入れ育成してきましたが、チェルノブイリ原発の時から、「福島も危ない」と、子どもには災害時に自分で生きる術を伝えながら生きてきたそうです。そして、各地の原発から半径100キロをコンパスで計測し、比較的安全だと思われる土地は「山形」と、地震後、ただちにまだ中学生の子ども達を避難させ、今子どもたちは自分でご飯を作って生活しているそうです。

 佐藤幸子さんは、私たち参加者に鋭い問いかけをしました。

「海外のメディアは福島原発事件と報道しているのに、日本のメディアは何故、福島原発事故としか表現していないのか。」

この報道の違いが大きな認識の違いを生み出しています。危険性が指摘されてきた原発を国策として推進してきたのだから、爆発を事件と認識すれば、放射能拡散は、原爆を落とした事件のまさに戦場そのものだと私は思います。」と。

 福島では、二重生活に苦しめられている家族がたくさんいます。そして、体も心も傷ついているのです。また、放射線量の高い区域で生活を継続せざるを得ない子どもたちもたくさんおります。今後懸念される内部被ばくについては、チェルノブイリにおいても指摘されてきましたが、日本政府には子どもたちをどう守るかという視点はあるのでしょうか。憤りさえ覚えます。

 佐藤さんは国連でも福島の現状を訴えるなど活動を展開してきました。

 東日本一帯が放射能に汚染され、福島原発4号機の倒壊が懸念される日々。二度と同じことを繰り返さないためにも原発の再稼働など絶対にあってはならないと強く思いました。

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