ろう重複障害者生活就労施設            「たましろの郷」を訪ねて

2012.04.11

今日は、青梅市にある「たましろの郷」を訪ねました。たましろの郷は、社会福祉法人・東京聴覚障害者福祉事業協会が運営する「ろう重複障害者生活就労施設」です。障害を持つ子どもたちが親亡き後も生きていけるようにと、親自ら立ち上がり募金を募り建設したのです。必ずしも自分の子どもが入所できるとは限らないのですが、同じような境遇の子どもたちが入所できればと、親たちはこの施設を作り上げたそうです。
現在、入所授産施設30名、通所授産施設20名、短期入所5名で運営していますが、同様の施設が全国に5か所しかないため、入所したいと待ち続けている状態だそうです。

聴覚障害者は手話通釈者を介してコミュニケーションをとっていますが、生活すべてにおいて情報を知る手立てとして手話通釈者が活用できる仕組みが、社会本来の在り方です。
しかし、日本においては障害者のこうした権利が十分に保障されているとは言えないのです。

今回、たましろの郷を訪問したのは、昨年の改選時に手話通訳者をお願いした議員。他の仕事で参加できなかった議員もいたのですが、聴覚障害の方や手話通訳者や、そして参政権保障委員会の方々など11名でお話を伺いました。まず施設内を案内していただいたのち、昼食をとりましたが、そのあと1時半までの時間を入所者と懇談しました。重複障害者であっても手話を使いこなし、コミュニケーションをとって生活ができる。話したいことがたくさんあるとばかりに自分の生い立ちを語ってくれた女性がいました。聾学校で学んできた楽しさを語る姿は、とても生き生きしていました。

施設長の花田さんが話してくれたことばが心に残りました。
「一番の力は、仲間・集団です。一緒に生活することのいい部分というのは、手話で語り合うことで互いを刺激しあい、語りあうことです。」
多くの仲間たちと生活を共にし、掃除やお菓子作りなどの仕事をしていますが、時には喧嘩することがあっても、手話を通して自分の気持ちを伝える。ここが生活の場です。

国は、障害者自立支援法ではなく総合福祉法の制定を約束したはずが、結局「改正・自立支援法」でお茶を濁しました。「地域でともに生活すること」をめざしているといいながら、施設を出て地域での生活をしたいと願っても「受け皿」がないのです。仕事がしたいといえば「住所がなければだめ」と言われ、「部屋を借りたい」といえば「仕事がない人に貸せない」とたらいまわしで、結局亡くなった方もいたというのです。

大田区は障害者総合サポートセンターを建設の予定ですが、施設があればいいのではなく、そこが十分に機能するかどうか、どんな運営方針で臨むのかが大事です。
声を発して助けを呼ぶことのできない聴覚障害の入所者に、困った時、災害の時、助けを呼ぶ手立てを具体的に教えなければ命に関わると語っていた、たましろの郷・施設長の花田さん。中途失聴の後、今では全く聞こえなくなったという花田さんの入所者を思う気持ちが伝わりました。わかりやすく、暖かく入所者と生き続けているのです。

| 福祉・医療 |

「まちの駅」をつくろう!

2012.04.07

みなさん様々な地域で「道の駅」を訪れたことがあることと思います。日本全国に900か所はあるといわれており、地元の産直野菜や加工品などを販売。更に町おこしにつながる、例えば温泉を利用した「足湯」なども併設するなど、地域の特徴が生かされています。
そこに新たに「まちの駅」が登場してきました。まちの駅は全国に約1500か所といわれておりますが、近年急速に広まっています。まちの駅の特徴は、「溜まり場」です。人と人のつながりやかかわりが希薄な時代、都市化の波、雇用や健康への不安など課題の多い時代ですが、だからこそもう一度学びあい、支えあう地域活性化の溜まり場を作ろうと市民やNPOなどが協力しあい形成してきました。地域の特色によって「川の駅」「海の駅」などと名付け、出入り自由なたまり場を「駅」として作り続けてきました。
5日、今後の地域社会、都市の課題に寄り添った「駅」を作ろうと呼びかけがあり、私は墨田区押上を訪ねました。墨田区でてんぷら油など廃油を回収し、エコエネルギーとして再生している「台所油田」の染谷会長がおいでになります。染谷会長は障害者雇用にも力を入れ、ミヒャエル・エンデの小説からとった「モモ」という喫茶店をかつて経営し、そこで障害者を雇用してきました。また、障害者のための「ビッグ・イシュー」創刊号も発刊してきました。東日本大震災のあとには「ディプソル」という本を発刊。震災で障害者がどのような状況におかれたか丁寧に掘り起しまとめた本です。
染谷会長は既に墨田区に「グリーンステーション・まちの駅」をめざし、既存の店を借りて営業をしています。地域の方の溜まり場をめざし、ボランティアも兼ねているお店です。私は、大田区の高齢者「ふれあいサロン」が一向に進んでいないため、こうしたまちの駅の形式で進められないかと思いました。東京は一人暮らし高齢者が増加し続け、孤立死も続いています。だからこそ地域の気軽な溜まり場が必要です。NPOの方々とも意見交換。

さて、押上といえば東京スカイツリーのお膝下、業平駅が「とうきょうスカイツリー駅」と名称変更。駅を降りて見上げるとスカイツリー。平日、しかも木曜日でしたが、浅草から東武線で眺める隅田川には桜が満開で人があふれるにぎわい。そして開業前のスカイツリー駅でも多数下車。みなさん、写真撮影。私も一枚撮影。
帰路、浅草駅から浅草寺まで歩いてみましたが、何と、そこにも人の多いこと。観光政策に悩みの尽きない大田区にはうらやましい光景でしょうか。

でも、大田は大田らしく。観光も大事ですが、まずは元気で安心して生活できるまちを作ることからです。
業平駅・・とうきょうスカイツリー駅前

| 環境・街づくり |

「終焉に向かう原子力」第14回のお知らせ

2012.04.02

第14回「終焉に向かう原子力」お知らせ
4月28日(土)午後1時~2時15分 映画「チェルノブイリ・ハート」上映
2003年アカデミー賞ドキュメンタリー部門オスカー受賞

午後2時30分~6時 講演「広瀬 隆氏」(作家・ジャーナリスト)
「終焉に突入した原子力}

場所 文京区民センター3A会議室(450人)

参加費 1000円

 

| お知らせ |

今中哲二「放射能汚染 チェルノブイリと福島」・・終焉に向かう原子力講演会より

2012.04.01

3月31日午後、京都大学、今中哲二先生の講演会が大田区消費生活センターにおいて開催されました。あいにくのお天気で電車が不通になる時間帯もありましたが、多くの方が参加され、福島後の日本のあり方を模索していることを痛感しました。
今中先生は、チェルノブイリ原発の調査を続けてきた日本の第一人者です。ご自分が調査された事実に基づく発言は、科学者そのものという印象でした。原子力についてどのように判断するか、それは講演を聞いた市民一人一人が判断することだと語っていましたが、正しい情報を多くの市民が十分に共有できていない状況では、課題の多いことだと感じます。
冒頭、東京日比谷公園のセシウムの数値を提示してくれましたが、一時間当たりの空間放射線量率は、0.09マイクロシーベルトと、自然バックグランドの2倍くらいとのこと。セシウム137と134を合わせた汚染レベルは、1㎡当たり20,000ベクレル程度と説明してくれました。考えなくても良かったはずの放射能汚染の世界が生まれましたが、、東京で生活している方は、避難するレベルではないと先生は考えていると話していました。ただ、ホットスポットのように数値が高いところの対策は必要だと考えているとのこと。江戸川などの流域はやはり心配だと私は思いながら聞いていました。
今中先生は、
「チェルノブイリから学んだことは、原発で大事故がおきると、まわりの村や町がなくなり、地域社会がまるごと消滅することと、放射線被ばくは、健康影響の原因のひとつにすぎない。また、健康影響は被害全体の一部にすぎないこと」と話していましたが、福島でも同様に、帰村できない地域があります。それなのに、除染したからと急いで地域に帰れるような政府に、私は信じられない気持ちです。昨年3月15日、大量に放出された放射能が東京へも風で運ばれたが、東京は雨が降らなかったため比較的汚染が少なかったが、その後、福島へ流れた時には雨が降ったため、汚染がひどくなったそうです。丁度一年前、福島原発の爆発直後に飯館村で放射能測定をしていたので、今回測定した飯館村の数値と比較しながら説明してくれました。2011年3月は30マイクロシーベルトもあったが、現在10マイクロシーベルト。幾分数値が下がったものの、半減期が長いセシウム137など、長い長い時間、人々は近くて遠い故郷と向き合って生きていかなければなりません。

「誰が、何が、何のために日本の原子力を進めてきたのか」と先生は問いかけていましたが、そこから原子力政策を見極めない限り、私たちは原子力の構図を理解することはできない。日本の核政策に関する基礎的研究が1968年9月、内閣調査室から発表されたが、自前で核を持つ気になったらいつでも作れると原子力政策を進めてきた日本政府。再稼働の目的が見えてきます。
そしてチェルノブイリ事故と福島原発事故が異なる点があると知りました。火災が発生して燃え続けたチェルノブイリ事故では、その後、巨大な炉心を冷やすためにそのまま空気に、外気にさらし、後に石棺で囲ったのだというのです。しかし、福島原発は、放水を続けているため、その汚染水が適正に処理されなければ地下水、或いは海洋へと放出され続けます。私は福島原発の放水の様子を見ているためチェルノブイリも同じだと誤解していました。四方を海に囲まれ漁業を主として来た日本は、今後どうなるのだろう。それは、世界の海の汚染でもあり、世界各国の懸念が理解できます。

「確かな」ことを科学者として発信し続けてきた姿勢。それは、すべての物事を疑うところから始まり、そして確かな事実、確かかどうかはっきりしない内容、確かでないものと区別し提示してきた歩みでもあったと感じた。
チェルノブイリ前とチェルノブイリ後の生き方。そして今遭遇している、福島原発事故前と後の社会。それは、日本の社会を大きく変えることだったと私は思う。

「終焉に向かう原子力」実行委員会が原子力の危険性や問題を訴え、原発廃炉をめざし集会を続け10年になるという。市民が学べる場を、地道に作り続けてきた市民がいるから、正しい情報が共有できる。原子力に頼らない社会、子どもの未来を守る社会を作るのは、私たち市民の力。原発即時停止、廃炉を実現したい。

 

 

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