3月11日 東日本大震災から一年

2012.03.11

 あの日から1年。時計が止まったままですと語る被災者がまだたくさんおいでになります。癒えぬ悲しみに潰れそうになりながらも懸命に生き抜く被災者。被災した友人の実家では、東京から野菜などを送ると、ご近所みんなに配るのだそうです。そうして少しずつ分け合いながら励ましあって生きていると伝えてくれました。

 そんな矢先、友人の父は、漁師としての半生を閉じました。岩手県のリアス式海岸は豊かな漁場として多くの人々の生活を支えてきました。穏やかな湾には牡蠣の養殖いかだが並んでいました。

 漁の糧である船が津波で破壊され、使い物にならなくなったとき、いち早く再開にこぎつけた三陸の漁民。結の精神が地域の再生を支えたそうです。

昨年訪れた山田湾は、まるで何事もなかったかのように穏やかな海でした。多くの命を奪った海。でも、人々はその海に再び漕ぎ出でて生き抜いています。

 復興へ歩み始めた被災地もある一方で、福島原発の放射能汚染のため、故郷に足を踏み入れることさえできない多くの被災者がおります。目に見えない、臭いもしない放射性物質を放出し続ける原発の脅威は、人々の叡智をはるかに超えています。。

 東京都下の下水道処理施設では、この新年から再び汚泥焼却灰の放射性物質の数値があがっていました。葛西水再生センターでは、放射性セシウム137が12月末には68Bq/kgだったものが、2月20日には6900Bq/kg と、今年になってまた高くなっていました。もちろん、南部スラッジプラントも30Bq/kgから1400Bq/kgと上がっています。震災前は「検出されず」という状態だったのです。こうした状態で、最終的に流れ込む東京湾の一年後、二年後がすでに懸念されています。

 そして、福島原発の4号機付近は「1500マイクロシーベルト」と報道されていました。日本は、終わりの見えない世界に足を踏み入れてしまったのです。

 午後2時46分、日比谷公園に集まった多くの市民とともに黙祷を捧げる。思い思いのメッセージを旗に込め参加していた方もたくさんおいでになりました。今日は全国各地で3.11を忘れない、原発を廃炉にと呼びかける集会が行われています。外国から参加されている方も大勢おりました。そして、いつにもまして子ども連れの親子が多数参加している姿に励まされました。

 子どもたちに安心の未来を残さなければ。

 

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