今中哲二「放射能汚染 チェルノブイリと福島」・・終焉に向かう原子力講演会より

2012.04.01

3月31日午後、京都大学、今中哲二先生の講演会が大田区消費生活センターにおいて開催されました。あいにくのお天気で電車が不通になる時間帯もありましたが、多くの方が参加され、福島後の日本のあり方を模索していることを痛感しました。
今中先生は、チェルノブイリ原発の調査を続けてきた日本の第一人者です。ご自分が調査された事実に基づく発言は、科学者そのものという印象でした。原子力についてどのように判断するか、それは講演を聞いた市民一人一人が判断することだと語っていましたが、正しい情報を多くの市民が十分に共有できていない状況では、課題の多いことだと感じます。
冒頭、東京日比谷公園のセシウムの数値を提示してくれましたが、一時間当たりの空間放射線量率は、0.09マイクロシーベルトと、自然バックグランドの2倍くらいとのこと。セシウム137と134を合わせた汚染レベルは、1㎡当たり20,000ベクレル程度と説明してくれました。考えなくても良かったはずの放射能汚染の世界が生まれましたが、、東京で生活している方は、避難するレベルではないと先生は考えていると話していました。ただ、ホットスポットのように数値が高いところの対策は必要だと考えているとのこと。江戸川などの流域はやはり心配だと私は思いながら聞いていました。
今中先生は、
「チェルノブイリから学んだことは、原発で大事故がおきると、まわりの村や町がなくなり、地域社会がまるごと消滅することと、放射線被ばくは、健康影響の原因のひとつにすぎない。また、健康影響は被害全体の一部にすぎないこと」と話していましたが、福島でも同様に、帰村できない地域があります。それなのに、除染したからと急いで地域に帰れるような政府に、私は信じられない気持ちです。昨年3月15日、大量に放出された放射能が東京へも風で運ばれたが、東京は雨が降らなかったため比較的汚染が少なかったが、その後、福島へ流れた時には雨が降ったため、汚染がひどくなったそうです。丁度一年前、福島原発の爆発直後に飯館村で放射能測定をしていたので、今回測定した飯館村の数値と比較しながら説明してくれました。2011年3月は30マイクロシーベルトもあったが、現在10マイクロシーベルト。幾分数値が下がったものの、半減期が長いセシウム137など、長い長い時間、人々は近くて遠い故郷と向き合って生きていかなければなりません。

「誰が、何が、何のために日本の原子力を進めてきたのか」と先生は問いかけていましたが、そこから原子力政策を見極めない限り、私たちは原子力の構図を理解することはできない。日本の核政策に関する基礎的研究が1968年9月、内閣調査室から発表されたが、自前で核を持つ気になったらいつでも作れると原子力政策を進めてきた日本政府。再稼働の目的が見えてきます。
そしてチェルノブイリ事故と福島原発事故が異なる点があると知りました。火災が発生して燃え続けたチェルノブイリ事故では、その後、巨大な炉心を冷やすためにそのまま空気に、外気にさらし、後に石棺で囲ったのだというのです。しかし、福島原発は、放水を続けているため、その汚染水が適正に処理されなければ地下水、或いは海洋へと放出され続けます。私は福島原発の放水の様子を見ているためチェルノブイリも同じだと誤解していました。四方を海に囲まれ漁業を主として来た日本は、今後どうなるのだろう。それは、世界の海の汚染でもあり、世界各国の懸念が理解できます。

「確かな」ことを科学者として発信し続けてきた姿勢。それは、すべての物事を疑うところから始まり、そして確かな事実、確かかどうかはっきりしない内容、確かでないものと区別し提示してきた歩みでもあったと感じた。
チェルノブイリ前とチェルノブイリ後の生き方。そして今遭遇している、福島原発事故前と後の社会。それは、日本の社会を大きく変えることだったと私は思う。

「終焉に向かう原子力」実行委員会が原子力の危険性や問題を訴え、原発廃炉をめざし集会を続け10年になるという。市民が学べる場を、地道に作り続けてきた市民がいるから、正しい情報が共有できる。原子力に頼らない社会、子どもの未来を守る社会を作るのは、私たち市民の力。原発即時停止、廃炉を実現したい。

 

 

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